『ハンモックとのであい』

 バンコクへ二度目に行ったときは一人旅だった

 その前の年、200×年に初めてバンコクへ行ったときの経験が衝撃的で、帰国してからしばらくたつとあれが現実だったか信じられなくなってきた。それで一年後にまた一人で、つまり確認しに行ってきた。

 何か凄いかというと。

 ここバンコクは空から見たら東京と大差ない。高層ビルが地表を埋め尽くし、24時間ネオンが消えることもない。
 
そんな大都会で、手足のない乞食が街のいたるところに転がっていたり、路地裏に象がいたり、虫やサソリなんかの佃煮の屋台が出てたり、売春だけの専門ビルや一角があったり、ドブ川で泳ぐ少年たちがいたり、広い交差点では必ず数人の詐欺師に声を掛けられ、誰でもまず「英語がうまいですね」と言われる。
日本で10万円するPCソフトのコピーが300円で売っていたり、その気になれば100円で一泊できる宿を探すこともできる。映画も日本でいうところのシネコンで一本300円で涼しく快適に観れる。ソフトクリームは20円ぐらいだ。
 夜の街ではいたるところで偽物ロレックスを売っていて、道のど真ん中は偽造パスポート屋が陣取っている。それを邪魔そうに横目で眺めながら、三輪バイクの運転手が「20バーツ(60円)で歓楽街をガイドする」と叫んでる。薄汚れた中年の男は盲目の乞食で、年老いた母親のアコーディオン演奏でひどい民謡を唸る。子供たちが小さな花を持ってガーデンバーの客に売ろうとまとわりついている。一本10バーツ(30円)だ。ちなみに卸値は50分の一である。
 ビルの前に二人の男がしゃがみこんでいて、よく見ると刺青を彫っている最中だ。
 喧騒の中、突然、全ての露店が店じまいをして、これ以上ないスピードで逃げ出していく。刺青屋と客は、ビルの陰に慌てて逃げ込み息を潜めた。まさに褐色の脱兎のごとく、滑稽なほどの素早さで人の賑わいが消えた。濃茶の制服を来た警察官が、逃げ遅れた串焼き屋の老婦人から備品の網とコンロを没収した。

 ぼくは今夜もあの娘に会いに行く。
 激しく刻む大音量の16ビートとミラーボールの惑いの中でカタコトのタイ語と英語と日本語を並べるのさ。
「もうつらい暮らしとサヨナラさせてあげたいけど、ぼくには永遠の約束をすることができないよ」
「私、そんなことを求めないわ。できる限り、ただそばにいて」
 バカな恋さ。それでもかまわない。
 涙目で君が囁く「ヤールームチャンナ」
 勿論さ、ハニー。
 きっといつかはセイグッバイ。記憶の中にフォーエバー。
 「あなたは詩人ね、ダーリン」
 ぼくの背中に体をあずける君の温もり。「今夜は泊めてくれるんでしょ」「君の好きにすればいいさ」「イジワルなのね」
 そして、ぼくらは笑顔で別れた。

 それが初めてのバンコクだった。二週間滞在したが、一時たりとも体が空気と馴染むことがなかった。30年以上生きてきて、これほど心地よい種類の刺激が続くのは初めてかもしれなかった。

 その一年後、ぼくは一人でタイランドに渡った。

 何一つ計画を立てなかった。この旅の間、直感と、その時々に湧き上がる知的肉体的欲求にしたがって生きようと決めた。
 特別何かを期待していたわけではないけど、どうせ何かがあると思っていた。

 果たしていろいろなことがあった。本当にいろいろなことがあった。

 ただし、人様に胸を張って言えるようなことではない。
 匿名ワールドのウェブ上でもったいぶるな、とお怒りになる輩もいることだろうが、それも仕方ない。ぼくはここでは敢えて喋らない。
 腹立たしい目に遭ったということだ。喋り始めると恐らく、とりとめがなくなる。
 不運な旅もある、ということだ。全くいろいろなことが起きた。そして辛うじて全ての罠からすり抜けた。

 二度目の旅は二週間の予定だったが、ともかく最初の一週間はろくなことがなかった。
 街の様子は相変わらずだった。地下鉄の建築工事をしていたり、無計画みたいな感じで新しいビルを壊していたり作っていたり、車やバイクがあちこちに出たり入ったりしていた。乞食もオカマも詐欺師も本物の美女も、一年前と同じ場所に同じタイミングで同じ姿でいた。暇そうな男たちや大型犬の集団、違法屋台たちも予想のつく場所と時間にそこにいた。

 ぼくは数日かけて街を存分に歩き回り、その凄まじい混沌に苦笑しながらゆっくりと眺めた。ぼくはしかし、もうバンコクにとって完全なストレンジャーではなくなっていることに気付いた。

 つまり、どんな衝撃的な経験も最初のショックを超えることはできないということだ。
 そんなことはとっくに知っていたはずなのに、この魔都バンコクでも同様だということを
理解するのに一週間もかかった。

 ぼくはそれを理解した途端にひどく退屈を感じ始めた。

 そんなときに見たのが、退屈の果てにそのような形になってしまったというふうな姿をした人々の姿であった。彼らは街のいたるところでハンモックにぶら下がっていた。
 街のいたるところ、それはつまり、歩道橋の下であり、バス停の日陰であり、寺の境内の木陰であり、見上げたアパートのベランダであり、市場の路地裏など、およそ人が生活を営む繋ぎの隙間の全てである。
 狂ったような街の喧騒や排気ガスに飽き飽きして、一人になりたくなってようやく辿り着いた理想的な場所。そこにはたいてい誰が先客がいて、普段から自ら携行していると思われるハンモックの上で安らかな寝息を立てているのであった。

 その姿はとても幸せそうに見えた。ぼくは早速、道端で色とりどりのハンモックを肩から何本も下げて客引きをしている老婆に声を掛けた。柔らかい綿の糸を編んだというハンドメイドのハンモックは、確かに全てのハンモックの色合いが微妙に違っていて、本物の手作りであることは容易に確認できた。
「タイコットンはストロングでカンフォタブルだから、みんないいと言うよ」と老婆は熱心に営業し、ぼくは薄紫と白のコンビネーションカラーのハンモックを一つ買ってみた。

 ぼくはそれから毎日、ディパックにそれを潜ませ、歩くのに疲れるとすぐに開き、体を横たえた。寺の境内は最高だった。木陰が多いし、安全だし、何より静かだ。ほとんど誰もぼくに興味を示さない。ぼくはますますこの街と溶け合っていくようだ。否、バンコクという街を媒介に、地球という大きな容器と正しい形で混ざり合っていくように思えた。
 宙に浮き、目を閉じ、風と木々の葉との語らいを聞く。まぶたの闇の中で小さな光が微生物のような動きを見せた。どこかから和やかな会話が聞こえ、それがこの国の言葉かどうかもぼくにはわからない。近くで肉を焼く特別な香辛料の匂いを感じた。どうやらその匂いは現実のようだ。
 現実だろうと非現実だろうとどちらでもいい。素敵な感覚は続いた。
 ただ揺れているだけで幸せだった。
 ぼくは永遠ということを信じたいと、生まれて初めて考えた。

 それらの時間は前回の旅の衝撃に匹敵する、いわば感動があった。
 ぼくはこの街が好きだと改めて思った。

 これがぼくとハンモックとのであいだ。

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2007年7月まで販売していたハンモック
ひとつ3.000円(送料別)。
10個+1個(お試し品)で20.000円(送料込)。